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大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)8655号 判決

原告

長尾幸子

ほか二名

被告

日新火災海上保険株式会社

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、それぞれ一六六万六六六六円及びこれに対する昭和六二年九月二二日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  1項につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  保険契約の存在

被告は保険業を営む株式会社であるところ、訴外長尾輝彦(以下、「輝彦」という。)は、昭和六一年三月二九日、被告との間で搭乗者障害特約の付された次のとおりの自家用自動車保険特約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。

(一) 保険料 二万八九四〇円

(二) 保険期間 昭和六一年三月二九日から昭和六二年三月二九日午後四時まで

(三) 保険者 被告

(四) 被保険自動車 自家用軽四輪貨物自動車(車名スバル、車台番号K八七―一一〇八七八、以下、「本件自動車」という。)

(五) 保険金額 対人賠償 一名につき 五〇〇〇万円

自損事故 一名につき 一四〇〇万円

無保険車傷害 一名につき 五〇〇万円

対物賠償 一事故 二〇〇万円

搭乗者傷害 一名につき 五〇〇万円

(六) 搭乗者傷害特約 被保険自動車の正規の乗車用構造装置のある場所に搭乗中の者を被保険者とし、被保険者自動車の連行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により被保険者が身体に傷害を被つた場合を保険事故とし、被保険者が保険事故の直接の結果として、事故の発生日から一八〇日以内に死亡したときは、被保険者一名ごとに搭乗者傷害保険金額の全額を死亡保険金として被保険者の相続人に支払う。

2  保険事故の発生(以下、「本件事故」という。)

(一) 日時 昭和六一年一一月二七日午後一一時一五分ころ

(二) 場所 大阪府枚方市中宮本町一〇番先路上(以下、「本件事故現場」という。)

(三) 運転者 枚方警察署所属の巡査訴外吉野和秀(以下、「吉野巡査」という。)

(四) 事故車 本件自動車

(五) 態様 走行中の本件自動車の後部座席に搭乗していた輝彦が本件自動車の後部座席右側ドア(以下、「本件ドア」という。)が開いたため、本件事故現場において車外に転落した。

(六) 結果 輝彦は本件事故により頭部を打撲してくも膜下出血・脳内出血等の傷害を受け、昭和六一年一二月一日午後八時一四分死亡した。

3  相続人

原告長尾幸子(以下、「原告幸子」という。)は輝彦の妻であり、原告長尾明文(以下、「原告明文」という。)及び同長尾正文(以下、「原告正文」という。)は輝彦の子らであつて、他に輝彦の相続人はいない。

よつて、原告らは、本件保険契約に基づき、被告に対し、各自死亡保険金五〇〇万円の三分の一である一六六万六六六六円(一円未満切り捨て)及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六十二年九月二二日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の事実は、(五)の態様中の輝彦が転落したとの点は否認し、その余の事実はすべて認める。輝彦は、転落したのではなく、自己の意思で本件ドアを開けて本件自動車から飛び降りたものである。

3  請求原因3の事実は認める。

三  抗弁

1  本件保険契約の搭乗者傷害条項二条一項一号は、被保険者の故意によつて、その本人について生じた傷害については保険金(死亡保険金を含む)を支払わない旨規定している。

2  輝彦は、本件事故当日の午後一一時ころ、枚方市内で経営していたお好み焼き屋「のらくろ」の営業を終え、本件自動車の助手席に原告幸子を同乗させ自ら運転して自宅に帰る途中、枚方市中宮本町一七―一一先交差点において枚方警察署所属の吉野巡査外数名の警察官が実施していた夜間検問により飲酒運転の事実が発覚し、飲酒量の測定のために本件自動車で中宮派出所に同行されることになり、輝彦は後部座席に移動して同所に乗車し、原告幸子はそのまま助手席に乗車して、吉野巡査の運転により中宮派出所に向かつた。ところで、輝彦は、昭和六一年八月にも飲酒運転で検挙されており、再度の検挙となれば運転免許の取消は必至で、そうなると店が狭いため材料置場を兼ねている本件自動車の運転ができなくなつて、前記お好み焼き屋の営業の継続が困難になり重大な死活問題になるところから、近時世間でしばしば行われているように一時逃走して身をひそめ、又は酒をあおつたうえで後刻出頭することにより飲酒量の測定を不可能にして処分を免れようとしたものと思われるが、本件自動車が本件事故現場に差しかかつたとき、突然本件ドアを開いて(本件ドアはスライド式であり、その構造・開放機構からしても自然開放により転落するようなことはあり得ない。)車外に飛び出し、転落して頭部を打撲したものである。

3  以上のとおり、本件事故は輝彦が自己の意思で走行中の本件自動車から飛び降りようとしたために発生したものであり、走行中の自動車から飛び降りれば大なり小なり受傷することは当然に予見できることであるから、輝彦には傷害について故意があつたものというべきである。

従つて、本件事故は前記条項所定の傷害につき故意がある場合に該当し、被告は原告らに対して保険金を支払う義務はない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は認める。

2  抗弁2の事実のうち、輝彦が一時逃走することにより飲酒量の測定を不能にし、飲酒運転に対する処分を免れようとして、本件自動車から飛び降りたとの点及び運転免許の取消しが輝彦にとつて重大な死活問題であるとの点は否認し、その余の事実は認める。

輝彦は、原告らに対して、ドアが半開きになつていたのでこれを閉めようとして誤つて転落した旨話していたものであり、また、輝彦は数年前に左足膝を複雑骨折して以来走ることができないのであるから逃走は不可能であり、更に輝彦と原告幸子は、経営不振のため年末にはお好み焼き屋を閉店することも考えていたほどであるから、運転免許の取消により営業継続が不可能になることを恐れて逃走を図るというようなことはあり得ず、輝彦には本件自動車から飛び降りるようなことをする動機は全くなかつた。

3  抗弁3の主張は争う。

仮に輝彦が逃走目的で車外に飛び降りたとしても、飛び降りる際に受傷したのでは逃走することができなくなるのであるから、輝彦には受傷することについて認容がなかつたものというべきであり、従つて、輝彦には受傷について未必の故意すらもなく、本件は免責条項にいう故意によつて生じた傷害には該当しないものというべきである。

第三証拠

本件記録中の書証目録並びに証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因事実は、請求原因2の(五)の本件事故の態様の点を除き、当事者間に争いがない。

二  ところで、右態様については、原告らは、本件自動車の走行中に本件ドアが開いたために輝彦が転落したものであると主張しているのに対し、被告は、輝彦が自己の意思で走行中の本件自動車から飛び降りたものであると主張し、本件事故は本件保険契約の搭乗者傷害条項二条一項一号所定の故意によつて生じた傷害についての保険免責に該当する旨抗弁するので、右抗弁について判断する。

1  抗弁1の事実(免責条項の存在)、並びに輝彦が本件事故当日の午後一一時ころ、枚方市内で経営していたお好み焼き屋「のらくろ」の営業を終え、本件自動車の助手席に原告幸子を同乗させ、自ら運転して自宅に帰る途中、枚方市中宮本町一七―一一先交差点において枚方警察署所属の吉野巡査外数名の警察官が実施していた夜間検問により飲酒運転の事実が発覚し、飲酒量の測定のために本件自動車で中宮派出所に同行されることになり、輝彦は後部座席に移動して同所に乗車し、原告幸子はそのまま助手席に乗車して、吉野巡査の運転により中宮派出所に向い、本件事故現場に差しかかつたとき、本件事故が発生したこと、及び輝彦が昭和六一年八月にも飲酒運転で検挙されていることは、当事者間に争いがない。

2  成立に争いのない乙第二ないし第四号証、原告本人尋問の結果により本件事故現場又は本件自動車を撮影した写真であると認められる検甲第一号証の一ないし一一、証人吉野和彦の証言及び原告本人尋問の結果を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  本件自動車はスバル製バンタイプの軽四輪貨物自動車であり、右側後部ドアである本件ドアは幅九五・五センチメートル、高さ一二一センチメートルで、開放時には後方へスライドするスライド式ドアとなつており、これを室内から開く場合は、車体の床面から五七・五センチメートル、ドアの前方端から四センチメートルの位置にあり、長さ一〇センチメートル前後でほぼ垂直に上向きになつているインナーハンドルを約四五度後方に倒すことによつてロツクが解除され、同ハンドルを更に後方に引くことによりドアが後部ボデイの外側にせり出して後方にスライドするようになつている。

(二)  本件事故現場は南北に延びる平たんな直線のアスフアルト舗装道路であつて、吉野巡査の運転する本件自動車が本件事故現場の手前約一〇〇メートルの交差点で左折して右道路に入り、直線の右道路を時速約二五キロメートルの速度で進行して本件事故現場に差しかかつたときに本件事故が発生したのであるが、事故前に本件自動車のドアのがたつきその他の物音はしておらず、輝彦が事故時に悲鳴をあげたようなこともなかつた。

(三)  吉野巡査は、後方でガシヤーという音がしたことから本件事故に気付いて本件自動車を停止させ、倒れている輝彦のそばに行つてどうしたのかと尋ね、あとから駆け付けてきた原告幸子も同様の質問をしたが、輝彦はけがはないという趣旨の返事をしただけで、転落の理由については何も説明しなかつた。

なお、吉野巡査が本件事故に気付いて本件自動車を停止させたとき、本件ドアは全開していた。

以上のような事実が認められる。もつとも、原告幸子本人尋問の結果中には、転落後輝彦のそばに駆け寄つてどうしたのかと尋ねると、輝彦は、ロツクがしてないので直そうと思つたら落ちたといつていたとの供述部分があるが、右供述は、証人吉野和秀の証言との対比及び本件ドアを閉め直す場合は、前記認定のインナーハンドルを引いてドアを若干開き、勢いをつけて再度閉めるのが通常の方法であり、従つて、その場合はインナーハンドルを握つており、かつ大人が転落するほど大きくドアを開く必要もないので転落するはずがなく、内容的にも不自然であることからも措信し難く、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

3  また、前掲乙第二号証及び証人長崎秀朗の証言を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  大阪府警察本部交通指導課は、昭和六一年一二月九日、同本部科学捜査研究所技術吏員一名及び本件自動車のデイーラーである新大阪スバル自動車株式会社のサービス部員二名を立ち会わせ、枚方警察署駐車場内において、本件ドアの分解検査を行つたところ、本件ドアのロツク装置には部品の欠損・損傷等の異常はなく、正常に作動していた。また、同日、同駐車場において、本件自動車を走行させた場合の本件ドアの状況を見るため、本件ドアを完全に閉めた状態、半ドア(ロツク装置であるストライカとロツク歯車が完全にかみ合わず、一部だけかみ合つた状態)にした状態及び若干開いた状態にして、本件自動車を時速二〇ないし三〇キロメートルの速度で走行させる走行実験を行つたところ、ドアを完全に閉めた状態はもちろん半ドアの状態でもドアががたついたり、自然に開放することはなく、ロツク装置を解除しない限りドアは開かなかつた。更に、ドアを若干開いた状態でも、ドアは急発進しない限り静止したままであり、停止の場合にのみ、通常のブレーキ操作でドアが前方に移動して閉鎖した。

なお、本件ドアを約一〇センチメートル開放し、その状態で内側から人がもたれかかつた場合は、本件ドアは前後いずれにも移動することはなく、自然に開放することはなかつた。

(二)  前記のとおり本件ドアのインナハンドルはドアの前方の端から四センチメートル、車体床面から五七・五センチメートルの位置(上向をになつたインナハンドルの上端の高さは六八センチメートルとなる。)に取り付けられており、他方本件自動車の後部座席は床面からの高さ三二センチメートル、奥行き四二センチメートル、背もたれ部分の高さ四八センチメートルであつて、その最前部とピラーの後端(ドアを閉めたときはこの位置にドアの前端部がくる。)との間隔は一一センチメートルであるのに対し、運転席下部との間隔は三〇センチメートルであるから、インナハンドルに搭乗者の肘や膝があたつてドアが開くというようなことは通常は起り得ないものであり、また、相当程度ドアが開いても、後部座席の搭乗者の膝や下腿部はピラーの内側に入つているので転落する可能性は少く、前記新大阪スバル自動車株式会社が全国同一車種のデイーラーに照会したところでもドアが開放して車内の人間が転落した事例はなかつた。

右認定の各事実によれば、本件自動車が通常の舗装道路を時速二〇ないし三〇キロメートルの速度で走行している状態のもとでは、本件ドアはその構造上意図的な操作なくして大人が転落するほど大きく開く可能性はほとんどないということができる。

4  更に、前掲検甲第一号証の七、八及び原告幸子本人尋問の結果によれば、輝彦が経営していた前記お好み焼き屋の本件事故当時の営業状態は普通程度で、相応の収益があがつていたこと、及び本件自動車は、右営業に必要な機材・仕込み品等の運搬のためだけでなく、店が狭いところからこれらの機材・材料等の倉庫代わりとしても使用しており、本件自動車は右営業上不可欠のものであつたが、原告幸子は運転免許を有しておらず、輝彦に代つて本件自動車を運転することができなかつたので、輝彦が飲酒運転で検挙され、同人の運転免許が取り消されると右営業に支障が生ずる状況にあつたことが認められ(この認定に反する証拠はない。)、右事実によれば、輝彦が運転免許の取消しを恐れて逃走を図つたという推測も可能であつて、同人に逃走の動機がなかつたということはできない。なお、原告らは、輝彦は足が悪く走れなかつたので逃走を図るはずはない旨主張し、成立に争いのない甲第七号証の一ないし三及び原告幸子本人尋問の結果によれば、輝彦は昭和五五年七月一一日から同年一二月一三日まで膝の複雑骨折のために入院し、本件事故当時も正座ができなかつたことが認められるが、右本人尋問の結果によれば、輝彦は自転車に乗ることができ、歩くときに多少足を引きずるようなことはあつたものの、足が痛いというようなことはなかつたことが認められるので、輝彦の足の状態は右認定を妨げるものではないというべきである。

5  以上認定の各事実、ことに輝彦は転落時に悲鳴等をあげておらず、警察官に対して転落の理由も説明していないこと、本件事故現場は直線道路であつて、搭乗者を振り落すような遠心力が加わるカーブではなかつたこと、本件事故当時の本件自動車の速度は時速約二五キロメートルであつてさほど高速ではなく、本件ドアは右程度の速度ではその構造上意図的な操作なくして大きく開く可能性はほとんどなく、他方輝彦に逃走の可能性がなかつたとはいえないことなどの諸点に、証人吉野和秀、同園田誠一は、それぞれ輝彦を本件自動車に乗車させ、セイフテイロツクノブを押し下げたうえでドアを完全に閉めたと供述しているところ、右供述中セイフテイロツクノブを押し下げたという部分については、前掲乙第三号証(実況見分調書)にそのような記載がないので、そのまま信用するのには若干のためらいを感ずるとしても、少くとも本件ドアを完全に閉めたという部分については、前記争いのない事実のとおり被疑者を任意同行する警察官として当然にとるべき措置であつて、これを疑問視しなければならないような事情は見当らないことをも考え合わせると、輝彦は、その意思に反して転落したのではなく、自己の意思で本件ドアを開いて車外に飛び降りたものと推認するのが相当であり、この推認を妨げるような事情を認めるべき証拠は存在しない。

6  そして、前記争いのない免責条項にいう故意には、受傷という結果を発生させる意思をもつて行為した場合だけでなく、受傷という結果の発生を認識し、かつ、それを容認して行為した場合も含まれるものと解すべきところ、受傷の危険性の高い行為をすることについての認識があれば、受傷という結果の発生を回避するための相応の努力をし、又は右結果発生の回避が可能であると信ずべき相当の事由があつたというような特段の事情のない限り、右結果の発生についての認識・容認があつたものとして右免責条項にいう故意があつたものと解するのが相当であるところ、輝彦は前記のとおり時速二五キロメートルで走行中の自動車からアスフアルト舗装の路上に飛び降りたものであり、そのような行為をすれば着地の衝撃や転倒により受傷する危険性は高いものであり、前記のような特段の事情のあることを認めうる証拠も存在しないから、輝彦には前記免責条項にいう故意があつたものというべきである。

従つて、被告の抗弁は理由がある。

四  結論

以上の次第で、原告らの本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 笠井昇 阿部静枝 井上豊)

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